依佐美の鉄塔
平成生まれの方はご存じないかと思いますが、
いまの刈谷市高須町に依佐美送信所、
通称「依佐美の鉄塔」というものがありました。
「ニイタカヤマノボレ」をここから送信したという、
真偽不明の話があります。
戦後は米軍に接収されていたので、
冷戦中はここが真っ先に攻撃されるとも言われていました。
米軍から返還され、解体されるというときのこと。
解体工事の末端の業者さんが(たしか)横浜から来て、
工事期間中は刈谷で暮らすということで、
家財道具をウチで揃えていきました。
解体工事が始まった数か月後、
解体中の鉄塔が倒れるという大きな事故がありました。
新聞で亡くなった方の名前を見ると、
「横浜市出身」と書かれていて、まさかと思っていましたが、
どうやらその業者さんの会社の方のようです。
工事が始まった後もウチに必要なものを探しに来ていましたが、
この事故を境に2度と来ることはありませんでした。
フローラルガーデンの近くを通ると、いつもこの話を思い出します。
いまの刈谷市高須町に依佐美送信所、
通称「依佐美の鉄塔」というものがありました。
「ニイタカヤマノボレ」をここから送信したという、
真偽不明の話があります。
戦後は米軍に接収されていたので、
冷戦中はここが真っ先に攻撃されるとも言われていました。
米軍から返還され、解体されるというときのこと。
解体工事の末端の業者さんが(たしか)横浜から来て、
工事期間中は刈谷で暮らすということで、
家財道具をウチで揃えていきました。
解体工事が始まった数か月後、
解体中の鉄塔が倒れるという大きな事故がありました。
新聞で亡くなった方の名前を見ると、
「横浜市出身」と書かれていて、まさかと思っていましたが、
どうやらその業者さんの会社の方のようです。
工事が始まった後もウチに必要なものを探しに来ていましたが、
この事故を境に2度と来ることはありませんでした。
フローラルガーデンの近くを通ると、いつもこの話を思い出します。
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